5/4(土)に「原画収蔵記念 村上もとか展」の開催を記念し、村上もとか先生をお招きしてトークイベント&サイン会を開催いたしました。
その様子をフォトレポートいたします!
村上もとか先生がご登壇!
「よくイベントにいらっしゃってくれた。みなさんに会えて嬉しい」とごあいさつをいただきました。
はじめにまんが美術館館長がスライドで当館の大規模収蔵作家の原画収蔵枚数を紹介。現在の収蔵数は約48万9000枚で、村上先生は12人目の大規模収蔵作家として、令和6年3月に約3万点の原稿をお預かりすることとなりました。
まずは、ご自身の原稿が当館に収蔵されたことについてお話いただきました。
「自分も半分デジタルの形をとっているので、その分は美術館には収蔵されていないが、アナログは大変。本当に線の1本1本、1コマ1コマを埋めていかなければならない。そこに漫画家の時間が染みこんでいっている。他の先生方の原画収蔵枚数の数字も改めて見るとすごい。同じ漫画家として迫力を感じる。」
村上先生のプロフィール紹介からトークが進行。誕生日は六三四と同じ6月3日とのこと!
作画の方法について、「昔はフルアナログだった。今は、主線だけはペンで書いているが、仕上げはデジタルで。」と教えていただきました。
先生は19歳の時、本宮ひろ志先生の下へ弟子入り。実は家が近く、高校生の頃から絵を持って行って講評を聞いたり、ベタ塗を手伝ったりしていたそうです。投稿などを続けながら、苦しい時期を過ごし、23歳で「赤いペガサス」の連載を開始されました。
30歳で「六三四の剣」の連載を開始。先生は剣道経験者ではないそうですが、経験者のお父様のお話を聞くうちに興味が湧き、憧れを抱いていたそうです。そして、いつか「武道」としての剣道をテーマにしたマンガを描きたいと思っていて描き始めたのが「六三四の剣」だったとのこと。剣道未経験ながらも「六三四の剣」を描けた背景には、後に漫画家になる、とある青年との出会いがあったそうです!
40歳のときには「龍-RON-」の連載を開始。
「六三四の剣」の取材で京都を訪れた際に、武道専門学校を知り、その後の綿密な取材を経て主人公・龍の人物像を作りあげたそうです。また龍とていの物語について、当初二人は結ばれる予定ではなかったが、移動の新幹線の中でストーリーを熟考していくなかで、面白い展開が思い浮かび、目的地に着くころには、内容ががらっと変わっていたとのこと。
49歳のときには、テレビドラマにもなった「JIN-仁-」の連載を開始。幕末の医療に興味を持ち、特に吉原の女性たちの平均寿命の短さに注目して、こういう世界を救うことはできないか、救うにはどうしたらいいんだろう、という考えから始まった作品だそうです。
村上先生のお気に入りのシーンがこちら。「主人公が神田川に身を投げようとしたが、周りに無数の蛍が舞っている。無数の魂が問いかけているようだ」という場面。これは「JIN-仁-」で最初に描いた見開きとのことです。
村上先生は現在「侠医冬馬」を連載中。また今後の新しい作品への構想についてお話いただきました。
「僕は最初から意識しているわけではないが、自分の好きなものや興味のあるものを描こうと思っているため、ほとんど原作ものは描いたことがない。だから自分の中で興味をもって出てくるものを描く。それが自分にとって面白いこと。ジャンルは問わないが、例えば、国境そのものが時代と時代の境目だったり、あるいは地域的に見て端からみた中央だったり…そういうようなものにすごく惹かれているんだなとだんだん気づいてきた。」
最後に、参加者から寄せらせた質問にお答えいただき、トークイベントは終了。その後サイン会が行われました。
サイン会では、この日限定のイラスト入り色紙にサインを描いてもらいました。
サイン中も、先生は終始にこやかに参加者とお話しされていました。
村上もとか先生ありがとうございました!
イベントにご参加いただいた皆様も、ありがとうございました!
今後も皆様に楽しんでいただけるようなイベントを企画してまいります。
イベント情報については、HPやSNS等で随時告知していきますので、是非チェックしてください!